夢を見ることなく目覚めを迎えた私。
それでも残る眠気で頭がぼんやりとする――けれど、それでも私の体はのろのろとベッドから抜け出していた。

 部屋のクローゼットから適当に服を見繕い、それを持ってリビングへと降りて、それから更に廊下に出て洗面所へと向かう。
そして洗面所からその更に奥にある脱衣所へと入り、浴室へと繋がるドアの横にあるパネルに手を当てる。
パネルのピピッという反応を受けてから、私がドアを開ければ――ドアの向こうには、
竹のカゴがいくつも収納された木製の棚が数台設置された――大浴場の脱衣所、だった。

 思ったところにたどり着き、私はその中へと足を踏み入れる。
そして適当なカゴを取り、その中に持ってきた服を入れ、その中に入っているフェイスタオルを取り出してから、棚へとカゴをしまう。
それから今着ている服を全て脱いで、それを棚の近くにあるボックスの中へと放り込み
、それが済んだところで私はタオルを手にガラスの扉の向こうに広がる――大浴場へと向かった。
 

 天井から差し込む朝日が、大きな湯船に張られたお湯に反射してキラキラと眩しい。
けれどなんとも心地のいいそれに、私の顔は無意識に柔らかいものに変わる。
やっぱり面倒くさがらずに大浴場に来てよかったなぁ――と思いながら、私はのんびりと身支度を始めた。

 ゆーったりと時間を使って身支度――というか温泉を楽しんでから、私は大浴場を後にする。
脱衣所に戻り、服をしまってあるカゴからバスタオルを取り出し、体を拭いていく。
それから持参したラフな服装に着替えて、それから脱衣所の一角に設けられた
鏡張りのメイク室で髪を乾かし、髪を梳いてから適当に低い位置で髪をひとつに束ねた。

 使い終わったタオルを脱いだ服を入れたのと同じボックスに入れ、使ったカゴを元の位置に戻したことを確認してから、
ここへ来るときに使った普通のドア――ではなく
その隣にある大きなドア、を使うために下駄箱からテキトーに拝借したサンダルを履いて、私は脱衣所を後にした。
 

 大きな扉から出た先は、ガーネットレッドの絨毯が敷かれた廊下――と呼ぶにはだいぶ広いけれどやっぱり廊下。
大きなプランターの中で完璧に管理された植物の垣の向こうには、
天上と側面がガラス張りの吹き抜けの小ホール――という名の食堂スペースが設置されていた。

 眠気は完全に吹き飛び、朝風呂で気持ちも晴れやか――となれば自然と湧いてくるのは昨晩無視した食欲。
ぶり返すようにゾワと湧いた食欲に逆らわず、
寧ろそれを満たしてやろうくらいの気分で、まぶしくも柔らかい朝日の差し込む食堂へ私は足を運んだ。
 

 まずは食堂の受け取りカウンター近くにある大きなパネルを操作して、とにかく食べたいものを注文していく。
そしてその全ての注文を終えたところで、そのままカウンターへと向かえば――
――メイド服姿の狐耳に狐のしっぽを持った半獣人のお姉さんが「おはようございます」と迎えてくれる。
そして私が「おはよう」と返せば、彼女は嬉しそうにふわと笑みを浮かべて「こちらです」と言って、
彼女と同じような背格好の狐っ娘メイドたちによって次々に料理が運び込まれているテーブルへ案内してくれた。

 狐のメイドが引くイスに座る――と、もう既に目の前のテーブルには注文したすべての料理が揃っていた。
プロを超えるカミ技で用意を整えてくれた彼女たちに「ありがとう」と声をかければ、
狐のメイドたちは満面の笑みを浮かべて「ごゆっくり」と言ってカーテシーをすると、静かにカウンター――仕事場へと戻っていった。
 

 少しばかり狐のメイドたちの後ろ姿を見送ってから、「いただきます」の一礼のあと、
私はすぐに盛大な朝ごはん――久方ぶりに食べる和食の数々に箸を伸ばす。
昨日までは、和食が恋しい――どころか、和食というモノ自体知らなかった・・・・・・けれど、
私のいう人間の深いところに刻まれた郷愁的なモノは、やはり和風きょくとうの文化に因っているようで。
口の中に広がる素朴な味に、鼻を抜ける醤油の香りに、訳もなくホッとした。

 久方ぶりの和食に舌鼓を打ちながら、朝のゆったりとした時間をすごしている――と、不意に後方に気配を感じる。
反射的に振り返って見れば、そこにはやっぱり狐耳のメイド――と、ジーパンに黒の長袖Tシャツというラフな格好をした男の姿。
知った顔――のトマトレッドの髪の男は友好を示すようにニコと笑って「おはよう」と私に声をかけてくる――が、
私が彼に返したのは、その好意を叩き払うような――「うげ」と言うような苦い表情だった。
 

 瞬間、場の空気が硬直する――が、トマトレッドの男も狐メイドもそこからの復帰は早かった。
そして、空気の硬直それを配慮して私との距離をと――らないあたりがなんともまぁ。
トマトレッドのソイツはまぁ仕方ないとして――も、メイドさんは私の精神衛生を優先するべきでは?
私、キミたちのメイド長じょうししょうじみたいなモノなんだけどな??

 ――と思っても、それを口にすることはしない。
したとことで通る可能性は低い――ということよりも、
そんな子供っぽいにもほどがあるワガママを振りかざすことが許容できなかった、だけ。
当たり前みたいに私の隣に座るトマト男に苛立ち――というか不快なモノ、はある。
でも、今それを彼にぶつけるのは「仕方ない」としても「お門違い」。
だからその不快感マイナスはご飯と一緒に呑み込んで――

 

「えー…と?」

「…『戦火の乙女』」

「あ――ぁあ〜……」

 

 内容のない赤の男の問いかけに、私は極めて簡潔な答えを返す。
そしてその私の答えに対し、彼はなんとも申し訳なさそうな、困ったような――でも納得の声を漏らす。
…その反応から察するに、私に「敬遠」される「理由」に覚えがあるらしい。

 ……いやうん、あって当然だろう。あれだけのことしておいて無自覚、とかない。
「コイツ」であれば、それもあり得なくはないけれど、彼に限って理解しないということはないだろう。
ホント…「コイツ」のせいでどんだけの苦汁飲まされたと思ってんだよこンちくしょう…!
 

 思いがけず噴出した怒り混じりの不満に、更に眉間にシワがよる。先ほどまでの心穏やかだった自分は一体どこへやら……。
すっかり心にはトゲが生えに生え、ただでさえコイツ相手で程度が低くなっている冷静さが苛立ちによって失われ続けていた。

 

「あー………『オレ』も、悪気はなかったんだよ……」

「知っとる」

「えーと……」

「無理。昨日の今日じゃ整理つかない」

「だ、だよなぁー……」

 

 絵に描いたような苦笑いを浮かべて、赤の男は頭をかく。
そんな彼の姿に、ほんの僅かだけれど申し訳ないものを覚える――が、所詮は「僅か」なので自分の表情を改めることはしなかった。

 自分が今、赤の男にぶつけている感情はある意味で理不尽なものだ。
だって「あの男」への怒りを「彼」にぶつけるのはお門違い。
同じ魂を持つ存在――とはいえ、「あの男」と「彼」は別の世界に根ざした人間いしなんだから。
――…とはいえ、冷静さを欠いている私にそんな正論を持ち出したところで落ち着くわけも、感情の整理がつくわけもないんだけれど。
 

 隣に座っているというのに、まったく言葉を交わすことなく私と赤の男は食事を進める。
その場を支配する空気は間違っても穏やかではない――けれど、ピリついているわけでもない。
あくまで私が一方的に苛立っている――憤りを感じているのは
彼と同じ姿をした「あの男」であって彼ではない、…ということを彼がわかってくれているから――だ。

 あれこれと承知して、私のお門違いなしょうもない憤りを向けられながらも、
それでも私の傍にいる赤の男――…けど、よく考えるとコイツも大概に自分勝手だ。
赤の男じぶんが傍にいると私の機嫌が悪くなる――と分かっていたにもかかわらず、それでもコイツは私の傍にいることを選んだ。
自分の感情をコントロールするための精神修行以下略――的なことならまだ納得できるけど…
…コイツに限って、それは絶対ない。99%、自分都合だ。
 

 はぁー……まったく、数いる住人のうち、どうして今回に限ってコイツとどんぴしゃで会っちゃったかなぁ…。