それを、人は幸せな結末と言うのだろうか。
友のために命を散らした――その人生しゅうまくを。

 

「…………っ…」

 

 言い表しようのない強烈な不快感と共に、意識が戻ってくる。
強烈なそれに負けて、思わず膝から崩れ落ち、吐き気を抑えるように片手で口元を覆った。

 意識が遠のきそうなほどの不快感を落ち着けようと何度も深呼吸を繰り返せば、徐々に体も心も落ち着いていく。
やっと回復してきた調子に安堵を覚える――けれど、それと同時に今自分が覚えた不快感に対する不満も覚える。
致し方のないこと――ではあるけれど、よくよく考えるとどうしてあの結末おわりに納得しなければならなかったんだろうか。
 

 胸に、ムカムカとしたものが湧き上がる――が、それは不毛。
だってこれが「最良」の結末だったんだから――この「物語」にとっては。

 読み手が、登場人物が、なにを思おうと、書き手が決めたその結末が最良――揺るぐことのない結末。
そして、その「結末」に向かって物語が進むように働きかけるのが――私の役目、である以上は。
 

 久々に感じた不満と憤りを、大きなため息で自分の中から吐き出す。
もちろんその程度でムカつきは収まらないけれど、とりあえず気持ちの整理はひとつつく。
気合を入れるように「よし」と言って、私は立ち上がった。

 振り返ってまず目に入るのは、ずらりと並べられた大きな本棚。
その本棚の一つ――自分の真向かいにあった本棚から一冊の本を取り出し、テキトーなページを開く。
そしてとりあえずその本に書かれた内容を読んでみれば――それは、いつか自分が体験した戦いについて書かれていて。
そこから数ページを適当にめくって、再度内容に目を向けてみれば、その結末はやはり自分が体験したものと同じだった。

 

「調整完了――っと」

 

 本の内容から自分の仕事が完了したことを確認して、私は手にしていた本を本棚へと戻す。
そして何の気なしに本棚を改めて見てみれば、そこには今仕舞った本の続きが何冊も並んでいる。
思わず苦笑いしながら私は「長かったもんなー…」と漏らしていた。

 そこから感慨深く物語を振り返る――ことはしない。
そんなことをしたら、先ほど吐き出したはずのムカムカがまた湧き上がって胸を満たすことになる。
それを避けるためにも、今はこの物語のことは忘れるに限る。
いつかまた、この物語と対峙する時がくるかもしれない――けれど、おそらくそれはまだ先の話。
であれば、急いで自分の気持ちに整理をつける必要はないだろう。
 

 本棚から視線を逸らし、その本棚の前を後にする。
いくつも並ぶ本棚の前を進んでいけば――ふとしたところで前が開けた。

 歩を進めて通路へと出る――と、目の前に広がるのは、広大な吹き抜けのホール。
空中には淡い光を放つシャンデリアがいくつも浮かんでいて、その光景は洋風な内装も相まってなんともファンタジック。
けれどもうそんな光景に見慣れている私は、それに対してなにを思うことなく、
通路と吹き抜けを仕切る柵を飛び越え――ホールへ向かって飛び降りた。

 大体、高さは10mほど――だろうか。そして私の記憶が確かであれば、あそこは三階だったと思う。
普通に考えると、自殺行為だ。
真下にクッションがあるわけでもないのに、命綱があるわけでもないのに、三階こうしょから飛び降りるというのは。
けれどここはシャンデリアが空中に浮いているようなファンタジック空間。
そんなトンデモ空間で、普通の理論でものを考えても――常識の通りになるわけがなかった。
 

 瞬間、落下速度が緩んで――何事もなく一階のエントランスホールに着地する。
いつも通り――当たり前の展開だけに、驚きはなく、私は特になにを確認することなく、
白と黒とが交互に敷かれた大理石の床を踏み、目的地へ向かって歩き出す。
そしててくてく歩けば、数分で私は目的の場所に到着した。

 私がやってきたのはホールの中央にある受付。
でもそこには誰もいない――ので、カウンターに置かれた呼び鈴をチンと鳴らす。
すると瞬間、空間が歪んだ――かと思うとカッと眩い光が迸り、
その光が収まると――カウンターの奥にフワリと宙に浮く、白の毛並みの大きな獣人が姿を見せた。

 

「えーと、『戦火の乙女と四天の騎士』――の、修正完了っ」

 

 狼とも、狐とも言い切れない、それらが混じったような姿をした白の獣人に、
任せられた仕事を終えたことを報告すれば、白の獣人の鋭い目が不意に柔らかく弧を描く。
そして優しいメゾソプラノの声で「お疲れ様でした」と私を労ってくれる。
その労いに気分がよくなって思わず笑みを浮かべれば、白の獣人は何処か嬉しそうに笑った。

 

「本日はもうお休みください。以後のシフトについては明日お伝えします」

「ん、了解」

 

 休めと言う白の獣人の言葉に了解の言葉を返し、私は「じゃあね」と手を振って受付を後にする。
そうして向かったのは、受付より更に奥――ホールの中心にある大きなエレベーター。
壁の横に設置された三角のボタンを押せば、間もなくしてエレベーターのドアが開いた。

 エレベーターに乗り込み、数字の書かれたボタン――ではなく、
その下の位置にある四角いパネルに手のひらを押し付ける。
するとパネルが反応してピピッと音を鳴らし、独りでにドアが閉まるとエレベーターは緩やかに動き出した。
 

 エレベーターに揺られること数十秒。
不意にエレベーターの動きが止まった――かと思うと、チンという音と共にドアが開く。
ドアの開いた先にあるのは、いくつかのドアが並ぶ見慣れた空間。
それにここが自分の希望した「階」だと判断してエレベーターを降りる。
そして少し考えてから私は、真正面にある三つのドア――ではなく、左側にあるドアの前へと移動した。

 控えめな装飾の木製のドア――の横にあるのは、エレベーターでも見た四角いパネル。
先ほどと同様に操作すれば、不意にガチャと鍵が開く音がする。
それを合図に私がドアを開けば、ドアの向こうから光が迸り――
――それが収まった頃には、私は自分のへやへと帰ってきていた。
 

 玄関で靴を脱ぎ、短い廊下を歩いて、その奥にあるドアを開き、誰もいないリビングに「ただいまー」と言って入る。
でもそこで足を止めることはしないで、部屋の左側にある螺旋階段を上って、
そのまま2階の寝室へと向かい――ばふんとベッドに倒れこんだ。

 柔らかなベッドが眠気を誘う。
着替えてない、ご飯も食べてない、お風呂も入ってない――けどもう眠くて仕方がない。
一度噴出したこの強烈な睡眠欲求に打ち勝てるものは何もない――以前に、打ち勝つ必要もない。
だから私はそのまままぶたを閉じ、眠りに沈んでいく。
 

 薄れ行く意識の中、私は心の片隅で祈る――
――今宵は、夢も見ず、ただただ泥のように眠れますようにと。