誰も彼もが神の存在を信じていた時代、ソレは同じように誰もが知る存在だった。
神を善の存在とした場合の悪の存在――妖、妖怪、物の怪、と呼ばれて。
神と呼ばれる存在を「無い物」として信仰する時代――いわゆる「近代化」によって、
神への信仰は形だけの行為に変わり、神を祭る儀式は行楽のための行事と化した――ことにより、
いつかには神と崇められ、誰もがその存在を敬った神も、今やわずかな人々の信仰心によってその存在を維持している。
そんな神々の弱り目に、問答無用で「悪」と断じられ、神々に、そして人間に討伐されてきた妖たちは、その報復にと人々を襲った――りはしなかった。
いや、事実としては「襲っている」けれど、妖が人を襲うのはおよそ本能――報復のために、なんて理屈の上に成る行動じゃなかった。
妖が人々を襲い、危害を、時に死さえ与えたとしても――それを、人は妖の仕業と認識しない。
何故なら、神の存在を「無い」と認識すると同様に、妖の存在もまた「無い」ものと――妄想、創作の産物として定着しているから。
そして妖怪を信じている人はオカルトマニア――
――常識から外れた変人、という「認識」が定着していることもまた、誰も妖の存在を認めない要因だろう。
…たとえそれが非現実――事実と違う常識だとしても。
信仰は廃れども神は在り、天の国より人々を見守り――時に地上に恵みと災いをもたらす。
そして恐怖は薄れども妖もまた在り、時に魔境より地上に出でて――人々に害を成す。
神と妖、どちらか一方だけが失せる――ということはない。
存在を得るに至る原料の「種類」が違うだけで、神も妖も、存在するための原料、そして原理も同じ。
この世に生きるすべての人間が、悪か善、その一方に偏ることはあり得ない――以上は、
神と妖もまた一方に偏ることは、一方だけが消滅することはなかった。
――…ただ、神が人の世に干渉でき無くなってしまう可能性、
そして妖が無音無影の暗殺者になってしまう可能性――は、あるけれど。
淀んだ闇を照らすのは街灯――に限らず、店やらオフィスやらから漏れる明かりや、店の存在を知らせる看板や装飾。
人工的な白い光、そして色とりどりの光に照らされた街は、日が落ちても闇に染まらず、未だにそこは人の領分にある――
――…ように思えるけれど、それは人間の浅はかな驕り。
構成する全てが人工の無機質な明かりが、明かりの極点にある太陽の光にとって代われる道理なんてあるわけがない。
それができるなら、もう既にこの世に妖も神もない――ただ、人もいないかもだけど。
遠くで、人の叫び声が聞こえる――…うん、叫べる余裕があるなら、まぁ大丈夫だろう。
人間、本気で危ない時っていうのは「ヒィ」の一言さえ出ないもの――だし、出す前に死ぬか助けられるか、だ。
でもそこで叫び声を上げられるのなら、そこまで切迫した状況ではないだろう――し、叫び声を聞きつけた誰かが助けに駆け付ける。
それが見込めないのであれば、私が動くところだけれど――
――人工灯の灯った無人の街に炎が奔るこの状況、私が動くべき方向はそっちじゃないだろう。
道路に散らばる瓦礫のうち、手頃なサイズのものを一つ掴んで、思いっきりぶん投げる――見紛うことなきバケモノに向かって。
さて、バケモノ相手に瓦礫片を投げつける――なんて物理攻撃が通用するのか、と思うけれど、霊体じゃないから物理は通る。
ただ、それで圧倒する――物理攻撃で倒すとなると、さすがに一苦労だけれど。
「グォオオオォオオォォォ!!!」
改造車のエンジンを吹かした――かのような咆哮を上げ襲い掛かってくるのは、
足が燃えさかる車輪になっている、四足の獣の姿をした妖・蛮徒。
空気を振動させる程の咆哮は、不意を突いたこちらの投石に対する怒り――ではなく、ひょこりと小娘が単身で姿を見せたことへの歓喜。
よほど腹が減っている――のではなく、単に蛮徒は理性もなければ知性もない妖――
――…正直、妖と呼ぶのもなにかちょっと違和感があるくらいの、新しい妖で。
…知性どころか、理性まである、古い妖たちを主に相手にしていただけに、新しい妖のノリは乱暴かつ性急で――組み易し、だった。
「――ッ!!?」
蛮徒の接近を嫌ってその場から飛び退けば、蛮徒は逃がすまいと走行スピードを上げ、
私が元居た場所を通過する――すんでのところでアスファルトがボコリと崩れ落ちる。
そして急に空いた穴に足を取られた蛮徒は動きを止める――だけでは済まず、その穴を満たす泥に足を取られたことで、身動きまでも封じられてしまう。
ただの泥、ぬかるみなら、その車輪の炎で焼き払えただろう――けれどそれは私が作った超常の術。
いくら平均値より図体がデカくとも、蛮徒程度の妖じゃあ抵抗できるものじゃない――ただ、打破はできなくないけどね。
術者を殺す――って形で。
泥の中からの脱出は不可能と悟ったのか、蛮徒は抵抗を止め、こちらに殺意――と、顔を向ける。
犬のような、牛のような、それでいて猿のような顔――をした蛮徒が、ぐわと大きく口を開ける。
考えるまでもなく、それはこちらへ対する害意――攻撃性を表すもの。
蛮徒といえば、その巨躯を活かした突進やら踏み付けといった物理+炎による攻撃が主な攻撃方法――
――だけれど、今この蛮徒がやろうとしている攻撃はそれじゃない。
ソレは対蛮徒戦闘において、可能な限り防がなくてはならない大技――口から炎を吹き出し、すべてを焼き払わんとする火炎放射、だ。
「……ぅん~………」
それなりに、炎を自在に操る蛮徒――ではあるけれど、一気に膨大な炎を吐くとなれば、それには相応の準備が必要になる。
だから、こっちにも考える一間は与えられる――けれど、すぐに考えはまとまった。
これ以上は不味い。これ以上は――田舎ボケ、だ。
一気に思考を切り替えて、手早く仕上げへと移行する。
太ももに下げたホルダーから、奇妙な文様と文字が描かれた札――いわゆる術符を取り出し、
それを指で挟んで口元へと運び、術符に力を込めながら決められた台詞――呪文を口にする。
そして詠唱の終わりが近づけば、口元に添えた術符をそこから離して――
「水ノ玉――水蛇舞」
発動を口にする――と同時に術符を蛮徒に向かって放てば、それからわずかに遅れて蛮徒が炎を吐く。
蛮徒の吐いた炎はアスファルトを焼き、そして私までも――とはいかない。全然。
私に至るまで――アスファルトだけでも1mも焦がせたかさえ微妙なところ。
…というか、そうじゃないと私が困る――っていうより私が情けないって話になる。
それはイヤ、なのです。そればかりは――許容できんのですっ。
蛮徒の炎がアスファルトを焦がす――より先に、私の放った術符がカッと強い光を放ち、
それから瞬き一つで姿を現したのは、蛮徒より一回りほど小さい――けれど2mはある巨大な水の玉。
現れた水の玉は、間を置くことなく蛮徒へと突っ込んで行く――中で、六つの水流に分かれ、最後には六尾の水の大蛇へと姿を変える。
蛮徒を獲物と定めた水の大蛇は蛮徒の吐いた炎などものともせず、猛然と蛮徒に向かって行き――
「――――ッ!!!」
二重にも三重にも巻き付いた水の大蛇たちの圧に耐え切れず、
音にならない叫び声を上げながら蛮徒は、水の大蛇たちに圧し潰される形で音もなく、跡形も無く――霧散した。
蛮徒が消滅したことで、まるで初めから何もいなかったかのような――ってなことにはならない。
蛮徒が暴れた証拠とも言える炎は未だ街を焼いているし、蛮徒を滅した水の大蛇たちも健在。
そしてなにより「何かあった」と主張するのは道路にボコっと派手に空いた穴。
瞬間、「やりすぎたか…」と後悔のような疑問が浮かぶ――けれど、すぐに「それより」と考えを改めた。
宙に留めたままの水の大蛇たちに術式を送る――
――と、それを受けた大蛇たちはさらに深く絡み合い、一つの水の玉――元の状態に戻る。
そしてそのまま空へと一気に飛び上がり――
「(………これで、後片付けも楽になる――…かな?)」
雲一つない闇色の空――から、柔らかな雨が静かに降る。
自然な雨とは違うその雨は超常のソレ――蛮徒を滅した水の玉の成れの果て。
浄化と鎮静の作用を持つ――この術は、少しばかりの穢れなら濯ぎ落とし、そこらの木っ端妖怪であれば軒並み弱体化させることができる。
…やや気力――術の行使に必要なエネルギーの消費量は多いものの、
戦闘が広範囲に及んでいて、かつ妖が下級妖の場合には、コストパフォーマンス的にも悪くはない。
――ただ、使える術士が極端に限られているのが何よりネックなんだけど。
優しいけれど確かに浄化の力を宿した雨は、蛮徒によって放たれただろう炎を静かに――でも迅速に消していく。
平均よりも、そして私の記憶にある蛮徒よりも一回りほど大きかった今回の蛮徒。
それが放っただろう炎だけに、その消火には少しばかり時間が――と思っていたけれど、私の予想は前提がどこかズレていたらしい。
…いい方向へのズレだったからいいものの、これが悪い方向――被害や犠牲を出すミスだったらと思うと酷く頭が痛い。
そして、こんななれない都会で任務をこなさなくてはいけないかと思うと――
「………先が思いやられるね…」
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