「…ついて……行かないの?」
ふと、ブラッシングの手を止め、イエローオーカーの少女が不思議そうに尋ねてくる。
…正直、彼女がそんな質問を投げてくることの方がよっぽど不思議――なんだけど、ふと脳裏に浮かんだ先輩の愉しげな笑みに「あー…」としたくもない納得をした。
「…行かないよ。望まれてもない――し、澪理の方が大事だし」
「………………それは…どう、なんだろ……」
100年近く前からの「当たり前」と、素直な俺の気持ちを少女――澪理に返すと、それを受けた澪理は、少しだけ不満の色を含んだ困った表情を見せる。
望まれていないというのも、神子より自分が大事だというのも、その両方が澪理にとっては納得しがたいことなんだろう。
…和気あいあいと、獣神と神子の関係が良好な「契約」しか知らない澪理だから。
「…ついて……行きたくない??」
「……澪理は、俺がいると迷惑なの?」
「……迷惑じゃないよ――…でも、一緒にいた方がいいと思うから…」
「…………なら、澪理だって暁様と一緒にいればいいのに…」
「……………私……神子、じゃ…ない、し……」
「……じゃあ、もう暁様と一生会わないの?」
「……………………そう、ならない…ように…頑張る、けど……」
酷くしょんぼりとした――っていうかもう泣き出しそうなくらい寂しげな表情で、澪理は「頑張る」と、諦めてはいないと、その意思を口にする。
その意思は白狼ノ神としては嬉しい――けど、その言葉を引き出すための代償が大きすぎた。
た…たぶん、暁様にとっても嬉しい――…というか安心する意思だったから………お、お咎めはない…と、思うんだけど……。
すくと立ち上がり、回れ右で澪理と顔を合わせ――て、そのまま励ますように澪理の顔に自分の顔を寄せる。
瞬間、澪理は驚いたようだったけど、すぐにその顔に柔らかい笑みを浮かべて俺の頭を撫でてくれる。
優しい手の感覚が心地よくて、つい甘えるように更に澪理にすり寄ると、澪理は「くすぐったいよ」と笑った。
…こんな、暖かくて優しいやりとりを、澪理は暁様とかわしてきたんだろう。
だから澪理は俺を、俺が契約を交わした神子のところへ行かせたい――神子と行動を共にするようになって欲しい、んだろう。
別に、俺は人嫌い――とかいうわけじゃない。というかそもそも俺の神子、人間じゃないし。
そしてそれが不満とか不服とかっていうわけでもない。だって俺が子神だった時から、白狼ノ神の神子は非人間――吸血鬼だったから。
…変な話、今更人間が神子になる――って方が、俺には違和感があるかもしれない。こっちが全部世話を焼いてやらなくちゃいけない人間と――なんて。
…だから、今の神子に対して不満――っていうのはホントにない。
不満はない――けど、俺の中での優先順位っていうのが、全然高くない――から、「ついて行く気」がなかった。
「――澪理が……望む、なら………ついて行っても――いい、よ…」
「…………望んではいる…けど………お願いする…コト、じゃ…ない、し……」
「……………………自分の意思で選べって?」
結局のところを問えば、澪理はコクと頷いて――俺が避けている答えへ行き着いた。
重ねて言うとアレなように思えてくるだろうけど――俺は、自分の神子に対して不満はない。
でも、だからといって特別気に入ってるってわけでは全くない――…けどまぁ、白狼ノ神の神子として高い適性を持った神子だとは認めている。
…もうこの際だから言っちゃうけど、神子の人格的部分に関しても、好感がないわけでもない。
――でも、だからって――白狼ノ神が俺の意思でアイツに「仕える」のは違う。
違う――っていうか正直プライド的なモノが許容しない。
なんで、俺がアイツに「仕えさせてください」って頭下げなきゃいけないの。
「……澪理、本来獣神っていうのはね、
人間に頭が地面にめり込むくらい頭下げられて、初めて加護を与えるかどうかを検討する存在なんだよ」
「…………………そう…だね」
「だからね、獣神が自分の意思で人間に力を貸すなんてレア――っていうか奇跡、なんだよ」
「………………奇跡……乱発してる…けど………」
「…そだね」
本来、獣神は人にかしずく存在じゃない――それは間違いない。
だって実際神代の頃から獣神は、人間――通り越して神仏にかしずかれていたわけだから。
だから、獣神が自らの意思で人間を選ぶっていうのは、神代から続く人の歴史の中での割合で考えると、「0.」から生じる「奇跡」と呼ぶに値する、極めて稀な現象――
――…ただ、高位の獣神に関しては、その形式がスタンダードではあるけど…。
世界を作りかえることすらできる「力」を持つ獣神の、好みという名のお眼鏡は高い――というか、一切の妥協がない。
だから、それに適う人間がいた――なら、その人間を何が何でも自分の神子にしたい、と、必然的にそう思い至る。
そしてそんな人間を見つけた獣神たちは、例外だけれど例外なく、人に請われずとも自ら積極的に人に契約を申し込む――自分がなにであるかも忘れて、ね。
獣神が神であるかも忘れてしまうほどの魅力を湛えた魂――というモノを、俺は知っている。
…というか、その究極的な魂を今現在、リアルタイムで間近に感じている――そう、澪理の魂だ。
最上位の獣神・四皇――の内、三柱に見初められた澪理。
人の最大値で考えても、獣神の基準で考えても――澪理の魂の「規格」はありえない。
世界を作り替えることのできる獣神であっても「ありえない」と、作ることができないという規格外の魂を持つ澪理――なんだから、
彼女のような神子を、獣神としての歴が浅い俺が求めるなんて、欲が深すぎるし、身の程知らずにもほどがある。
それはもちろん分かっている――けれど、やっぱり澪理の「心地よさ」を直接体感してしまうと、
この青天井な「程度」を、平均ちょい上とはいえそこまで下げるのは、想像するだけでも酷いストレスで。
………せめて初代神子くらい――…いや、ていうか端から主さまと同等の人格だったら真祖さまから頼まれなくても契約してる。
「…ルジート」
「? なに?」
「…ルジート、は………ただの人間、の…望みを叶える、の…?」
「…………………はぁー……まーたそういう可愛くないこと言う…」
事実――ではあるけれど、わざわざな事をわざわざ掘り返す澪理にちょっとばかり呆れてイラっとして――その不満を表すように、ぐいぐいと顔を押し付ける。
そんな俺の小さな不満に、澪理はされるがまま。…抵抗しないところを見ると澪理自身、自分が口にした問い――というか卑屈を、情けなく思っているらしい。
今の澪理にとって、その部分を以前と変わらないまま扱われるのは辛い――かもしれないけれど、だとしても俺たちの澪理に対する扱いは変わらない。
そんなことをしては四皇から大目玉を喰らう――なんていうのは方便で、ただただ単純に、澪理を澪理として認めているからこそ。
俺たちが気を遣わなくたって――澪理は、ちゃんと自分が本来あるべき地位へ帰ってくる――ってね。
…そう――澪理が、そうだというなら――………
「…澪理」
「ぅ、ん…?」
「…夢獏ノ神のイジワル、一人で対処できる?」
「…、………、………………が、頑張る…っ」
「……頑張ってどうにかなるモノでもない気がするけど…」
「が、頑張らなきゃ…どうにも、ならないよ…っ」
「あー……」
神子に似たのか、気まぐれなのか――それとも、上司の意を汲んで、なのか。
時に真祖さまよりヒドい修行――じゃあなく、嫌がらせという名のイタズラを澪理にする夢獏ノ神。
獣神として、ずっとずっと歴の長い――というか母様と同期の大先輩、だけれど澪理を潰しかねないイタズラはさすがに看過できなくて。
だから澪理が西に来て以来、俺はお目付け役として訓練時間以外はずっと澪理と一緒にいた――…わけだけど、
「だっ、大丈夫だよっ…害意はあっても――殺意はない、から…!」
「………」
「それに…オパールのアレは『遊んでる』だけだから……。…マスターの方が性質悪い…し………」
「…」
「…あれは――…死ぬため、なのかな…?」
「………間違っても、真祖さまに同情しないでね」
「……――…そんな人間じゃ…ないって、知ってるくせに――」
澪理が、おかしそうに――でも苦い色を含んだ顔で、笑う。
俺の発言を笑っているのか、それとも自分の在り方を嘲笑っているのか――でも、どちらであっても今はいい。
どちらであっても――自分の在り方を否定しているとしても、それを捨てられないのであれば、今はどちらでもよかった。
今は、今はただ――澪理の心に「大義」なんてバカげた程度の低い魔が差さなければ、それだけで十分だから――。
「………どーしようもなくなった時には、ちゃんと言うんだよ」
「……………うん」
「――その言葉、信じるからね?」
「…ぅ゛ー………ぅん……」
澪理の弱い所――ズルい言葉を使って澪理から言質を得る。
ズルい――とは思われているようだけれど、それを澪理は不満として口にはしない。
――だって、ソレは澪理にとってズルくて、重苦しくて、煩わしい――としても、自分を肯定してくれる信頼だから。
俺の信頼に、澪理は応えようとしてくれている――なら、俺だって澪理の信頼に――応えたい。
麒麟の神子だから――とかじゃなく、単純に、一個人として、信じてくれる澪理の思いに応えたかった。
――それに、いつか必ずやってくる神子たちの再起の日のためにも、俺は動き出さなきゃならない。
俺が動かない限り、俺たちは一生何も変わらない。
力を持ちながら、なにをしても、なにを犠牲にしても――なにも成せない、しようのない愚者のまま。
そんな終わりは――フェガリに頭を下げるよりずっとイヤだった。
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